本研究は人間の触覚を,視覚や聴覚と同様に記録,再生,共有,伝達可能な感覚 とすることを目的とする.
この最終目的のためには,視覚の場合と同様,撮像系と提示系それぞれの研究と 共に,それらを組み合わせたシステムの研究が不可欠である. そのため次の二つの小目標を設定している.
第一は,自然な感覚を得ることの出来る提示系(ディスプレイ)の作成である. 現在視覚,聴覚のディスプレイは既に完成の域に達しているが,触覚のディスプ レイはその原理すらあいまいである.特にヒューマ ンインターフェースとしての触覚ディスプレイは,昨今注目されるバーチャルリ アリティのための要素技術として重要である.
第二は,触覚ディスプレイに提示する情報をセンシングするために必要な,触覚 カメラと言うべき撮像系の開発である.視覚ディスプレイがテレビカメラと対に なって初めて映像を伝送できるのと同様,触覚ディスプレイも触覚カメラが存在 しなければ触覚情報を伝送出来ない.
触覚ディスプレイの研究
現在までに,触覚(皮膚感覚)ディスプレイの研究を行っている.



もし皮膚感覚を人工的に提示することができれば,例えばVR (Virtual Reality)
空間内でより現実世界に近付いた実在感を得られるとともに,遠隔地での高度な
作業が可能となる. しかし皮膚感覚提示のためのディスプレイは本格的な研究
が始まって間もない分野であり,いくつかの手法が提案されてはいるものの,そ
のほとんどはアドホックな実装に終っている.
これに対して完成されたディスプレイが世に溢れる視覚の提示原理を見ると,可
視光のスペクトルをRGBの3原色に分解し,この組合せで全ての色を表現している.
3原色は網膜上に存在する3種類の光受容器(錐体細胞)に対応していることが分かっ
ている.すなわち視覚ディスプレイにおいては,「生体センサの特徴に合わせて
情報を有限次元に落す」という原理が使われている.
触覚においても同じことが出来ないだろうか.触覚では4種類の機械受容器が存
在している.これらを選択的に刺激することが可能で
あれば,その刺激を組合せることで全ての感覚を生成することができるだろう.
すなわち我々の方針は,『皮膚下の感覚神経をその種類別に刺激する』 という
ものである.この刺激を触覚における原色という意味で「触原色」と呼ぶことに
する.
この方針を実現し得る刺激手段として経皮電気刺激を採用する.皮膚表面に取り
付けた電極から体内に微弱電流パルスを流し,皮膚下の感覚神経を活動させる手
法である.経皮電気刺激自体の歴史は古く1960年代から始まっているが,上記の
ような触原色を意識したものは無く,多くが単なる特殊感覚の生成に終っている.
我々の主張の中心は,皮膚感覚受容器の空間配置の特徴を用いればこれらを選択
的に刺激できる,すなわち触原色を作成可能であるということである.
この中で我々は,皮膚に存在する四種類の受容器のうち二種類は軸索の方向の 特異性から個別に刺激可能であり,さらにもう一種類は存在深度の違いから選択 的に刺激可能であることを発見した.
さらにこれを実験によって確認した.
設計した種類別刺激モードにより,被験者に圧覚,低周波振動覚,高周波振動覚
を提示することに初めて成功した.これまでの刺激点は単一の点であるが,電極
をアレイ化しているために複数点の感覚提示は容易であり,空間的な走査を行う
ことで移動感(仮現運動)を生じさせることに成功している.
現在,インピーダンスセンシングと感覚提示を同一の電極で行うシステムを制作
中であり,センシングによって得た皮膚インピーダンスの情報から最適な刺激電
流波形を計算することを考えている.また空間的なインピーダンスの変動に対処
すべく,微小電極アレイそれぞれに電流を配分するシステムを試作している.
また装着型触覚ディスプレイは,装着しているがゆえに本質的に始めから,余計
な触覚を生じてしまっている.このことから我々は,接触しない触覚ディスプ
レイという,一見矛盾に思える提示デバイスの作成を試みる.
触覚カメラの研究
触覚カメラ,すなわち触覚ディスプレイと対になる撮像系に関しては,我々の
開発している触覚ディスプレイが「触原色」を提示できることから,これらの原
色をセンシングする能力があれば良い.この観点から,具体的には次のような二
つのアプローチを試みる.
第一に最も単純な方法として,接触対象の形状,弾性,摩擦係数を空間分解能
0.1mm以下でセンシングし,その情報を元に提示する各触原色を計算するという
手法である.触覚の情報コーディングに関してなされた過去
の解析的研究の成果を工学的に生かす試みとなる.
第二に,聴覚におけるダミーヘッドのように,ダミーフィンガーというべき入力
装置の開発を行う.このダミーフィンガーは人の指と同じサイズ,弾性をもち,
内部に人の機械受容器と同じ役割を果たす各種感覚受容器センサを持つ.
このシステムは皮膚
という弾性体が潜在的に果たしている情報処理能力を利用し,第一のアプローチ
に於ける計算部分を省く試みといえる.
すべてのセンサに言えることであるが、センシングは必ず対象に影響を及ぼす。 あくまで「対象」をセンシングするのであればなるべく環境に影響を与えないセ ンサが望ましい。しかし対象とのインタラクション自体に意味がある場合がある。 当然これがダミーヘッドの発想であり、音場を 乱さない計測をあきらめる変わりに伝達関数込みの計測結果を得ることを考えた システムである。ここで我々はダミーフィンガーを提案しているが、そもそも 「触覚センサ」自体が既に対象とのインタラクションという発想を含んでいるこ とに注意すべきである。なぜ「形状センサ」と呼ばずに「触覚センサ」と呼ぶか ということである。触覚センサにおいてセンシングするのは、接触対象の表面 (surface)でもなければセンサの表面でもない。それらの界面(interface)である。
Reference